探訪日記😊☆☆☆古都・京都/奈良編✨

伏見稲荷駅から電車に揺られること約15分、中書島駅で下車して徒歩5分の『寺田屋』へとやってまいりました。

時は慶応2年(1866年)1月23日の午前2時頃、幕末の土佐藩士・坂本龍馬が寺田屋に滞在中に伏見奉行の捕り方

約30人に包囲され、後の妻となるお龍の機転により捕縛・暗殺から難を逃れた「寺田屋事件」の舞台です。

 

【坂本龍馬が宿泊していた再現部屋】

とは言え、当時の「寺田屋」は1868年1月に旧幕府軍と新政府軍の間で起こった戊辰戦争へ発展する局面の一つ

「鳥羽伏見の戦い」で焼失し、現在の建物は明治期に再建されました。

 

現在の寺田屋は「寺田屋旅館」ですので宿泊が可能です。

開館時間(午前10時~午後4時)が終了後、午後6時から翌日の午前9時までの宿泊となりますが、

龍馬のお部屋は使用できません。

江戸の幕末期へ、タイムトリップを味わってみるのはいかがでしょうか🤓

 

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寺田屋を後にして、弁天橋を目指します。

伏見の街沿いを流れる濠川(ほりかわ)は、「十石舟」に乗ってゆっくりと街並みを観光することができます。

 

【宇治川派流・濠川】

濠川は、豊臣秀吉が築城した伏見城の建築資材を運搬するため宇治川より派流として掘られた川で、築城後は

城のお濠として役目を果たしました。

 

【伏見十石舟】

弁天橋のたもとに十石舟乗り場があります。

伏見十石舟は全部で4隻【水古都(みこと)・水都季(みずき)・千姫・秀吉】が運航されていて、立ち寄り場の

伏見みなと広場や、資料館の見学を含め往復約50分のツアーです。

 

江戸時代には、濠川沿いに問屋・宿屋・酒蔵が建てられ、米や薪炭・お酒などを運ぶ舟が多数往来し、京橋付近は大坂へ向かう三十石舟や山城へ向かう淀二十石舟など、毎日千隻以上で賑わっていたそうです。

幕末の「寺田屋事件」より難を逃れた坂本龍馬は、伏見薩摩藩邸にかくまわれていましたが、襲撃された時に負った右手の傷を癒すため、お龍と共に寺田屋浜から三十石舟に乗り濠川を抜けて、九州の霧島へと旅立ったのです。

 

初日はここで終了です。翌日はお隣の古都、奈良へと向かいました。

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