翌日もあいにくの空模様でしたが、雨が降ることはなく初日と同様の過ごしやすい陽気でした。
やってまいりましたのは、世界最古の木造建築群といわれており、推古15年(607年)推古天皇と聖徳太子によって
建立された『法隆寺』です。
【南大門】(重要文化財・国宝)
法隆寺は1993年12月、日本で初めての世界文化遺産として登録され、約18万7千㎡の広大な境内には門やお堂が
点在しています。
境内への入り口である南大門は、飛鳥時代に創建されましたが、永享7年(1435年)に焼失してしまい、
現在の門は永享10年(1438年)に再建されました。
屋根の形状に特徴があり、反り返って裏側が見える「軒反り」という古代・中国の建築技法が用いられています。
1901年(明治34年)3月27日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定されました。
【中門】(国宝)
広大な広さの境内は、西院と東院に大きく分かれていて、国宝・重要文化財の建築物だけでも55棟にも及びます!
そのため、残念ながら今回の旅は時間の都合上、西院のみの探索となってしまいました。
南大門をくぐった先にある中門は、飛鳥時代に創建し1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
本来の西院の入り口にあたる中門は、正面四間二戸・梁間三間の二重門(入り口が左右2つ)が特徴的で、
左右二体の「金剛力士像」が安置されています。ちなみに、現在の中門は通り抜けることはできません。
【金堂】(国宝)
西院伽藍の中では最古の建築物である金堂は、入母屋造りの二重の瓦屋根と下層の裳階(もこし)の板葺きの対比、
そして奥深い軒下と雲斗・雲肘木が調和していて、芸術的な美しさを感じました。
金堂内陣の広い須弥壇には、飛鳥彫刻を代表する釈迦三尊像をはじめ薬師像のほか、
鎌倉期に造られた阿弥陀三尊像や平安期の毘沙門・吉祥天像の多くの国宝が安置されています。
【五重塔】(国宝)
金堂の隣に創建されているのは、日本で最古の塔「五重塔」です。
西院伽藍のシンボルともいえる五重塔の歴史は、飛鳥時代(607年)に金堂と同時期に創建されました。
五十塔を構成する5つの楼閣を下から、地(基礎)・水(塔身)・火(笠)・風(請花)・空(宝珠)といい、
5層それぞれは独自の世界(思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しているそうです。
最下層の心柱の四方には、塑土で洞窟のような舞台を造り、釈迦に関する四つの説話から
四つの場面を塑像の小群像で表しています。
【大講堂】(国宝)
金堂と五重塔の北側に立つ間口九間(16,38m)の大講堂は、古来『法隆寺学問』と呼ばれる仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設です。
平安時代の925年、落雷によって焼失してしまいますが990年に再建され、薬師如来坐像・四天王像が造立されて
堂内に安置されました。
大講堂は、法隆寺の建造物の中でもっとも面積が大きく、大勢の僧侶たちが集って大法要を行うことを想定した
造りと言えますね。
【西丸堂の脇に佇む梵鐘(ぼんしょう)】
最後に…
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」と、
正岡子規が歌った俳句を皆さんはご存知でしょうか。
法隆寺境内の、西院伽藍・東院伽藍それぞれに『鐘楼(しょうろう)』(奈良時代に創建)が建てられていますが、
鐘楼の鐘とは別に、西丸堂の脇に梵鐘が創建されています。
明治時代、正岡子規が法隆寺を訪れた際に茶店で一服し柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じ詠んだ俳句が冒頭の俳句です。
その時、耳にした鐘の音がこの西丸堂の梵鐘で、現在も毎日5回(8時・10時・12時・14時・16時)鐘が撞かれています。
ただし、一般参拝客は触れることすらできませんのでご注意を。
古都・京都/奈良編の探訪日記は以上でおしまいです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
それでは、またお会いしましょう。
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